多動性障害者、鬱日記(趣味)

過去の事とかも書いてたけど、暗くなったので趣味の部屋にすることにしました

中学校時代3

※これは不満不平ではないです、どうしたら過去のもやもやを整理できるか、今後の自分のための物です

見た方が鬱や障害のことを知って、なにかしらの参考になったらありがたき幸せ

 

前回は施設に預けられたところからかな

 

その施設は脱走とかもできないように鉄格子があり、赤外線センサーなどもあり、今思いかえすと、何の施設だったのでしょう・・・

児童相談所の紹介で1月以上入っていましたが、あそこで得るものは無くツライとかもなくね

本当になんだったんだろう?それが自分の感想です

 

帰宅したころには父は退院をして仕事にも復帰しており、母と共に学校に行かない自分を責め続け始めました

私にはその時に高校生の姉がいて、姉がかばってはいてくれましたが居場所はないものと感じておりました

中学1年の11月に、家に居るだけで、暇を持て余してた時チラシで新聞配達のアルバイト「学生可」を見ました

家にお金を入れるとか、そんなかっこいいものではなく、始めようと思ったきっかけは、おこづかいとか両親からは、もらったことがないですし、ゲームは借りたり姉のおさがり

そんな中で、自分でゲームがほしい!でした

夕刊の配達でしたが1月で2万5千円を貰うことができ、1万円は家に(強制で)入れる(取られる)形に

家に入れるのは義務で、飯を食べてるし服とか洗濯とかしてもらっているから当たり前、と中学の時からやっております

5千円は貯金しておいてあげるからと、1万5千円を渡していました

ちなみに5千円を貯金しておくと言った母は6年間新聞配達をしても1円も貯金してなかったです

 

残りの1万円がお小遣いとなり、それで毎月ゲームを買いに行くようになりました

新品など買えるはずもなく中古をいっぱい買い漁りました

新品の買えない理由は自転車のメンテナンスやほかにかかる費用も、夏になると新聞配達中の水分補給など

あとは、この頃から買い食いができるようになったので、買い食いするようになりました

 

学校には行かなかったですが、そんな状態で1年間以上アルバイトをして、3年生にあがる少し前くらいに姉が一人暮らしで出ていくことに

 

ここからは次回にしておこうと思います

ここまで読んで頂けた方には感謝ですm(__)m