多動性障害者、鬱日記(趣味)

過去の事とかも書いてたけど、暗くなったので趣味の部屋にすることにしました

中学校時代2

※これは不満不平ではないです、どうしたら過去のもやもやを整理できるか、今後の自分のための物です

見た方が鬱や障害のことを知って、なにかしらの参考になったらありがたき幸せ

 

いろいろと物事が多すぎて整理しながらですが

6月には中学校は登校拒否、父親が倒れて入院、これ以上酒を飲んだら死ぬということで禁酒、今後酒を飲むことはなくなりました

 

8月近くの児童相談所に相談する

9月特別学級空き部屋で登校し始める

10月父親仕事復帰、養護施設に送られる

12月新聞配達を始める

 

こんな感じですね

6月には学校行かなくなりました、今思うと行かないことは学校は行かなくても勉強はしておけばよかった

学力は中学校はいっていませんが、成人後に勉強して中学卒くらいは物事はわかりますよ、覚えることは中学校の時にしておいたほうが効率はいいですし、時間の使い方もお得ですよね、、、

学校行かなくなってすぐか、その前くらいに父親が倒れて入院したとき、お酒をドクターストップされました

父親は死ぬのは怖いようで、その後は今になるまで1度もお酒を飲むことは無くなりました、入院した病院も父親が今でも働いてる元社長が紹介してくれて、入院している間もお給料を頂いていたということを教えてもらい

 

今の今まで、自分は会社に拾ってもらったこともなければ、無能や欠陥品だとわかるとお払い箱にされてきたので(これも後々に)そのような人もいるのかなと、不思議な感覚があります

 

不登校になり始めてからは、児童相談所に相談に行くようになりました

家に居ても学校に行かない自分は、どうにも居場所が無かったです

 

そんな中、学校から特別支援教室の2階に児童相談室があるので、相談にこないか?との連絡があり、その隣の空き教室で勉強しないか?

ということだったので数カ月は通いましたが、ほとんど放置状態なので行く意味がわからなかったのが本心

どういう経緯で、また学校に来いと言ったのか、不明ですしよくわからないです・・・

 

通っているうちに、児童相談所に、1か月以上ちょっと親元からはなれて、生活する施設があると言われていくことになりました、その間に父親が退院してましたが

 

いつも蚊帳の外にいる気持ちは、この時からずっとありました

 

少し長くなったのでこの辺にしておきましょう

 

ここまで読んで頂けた方には感謝ですm(__)m