※これは不満不平ではないです、どうしたら過去のもやもやを整理できるか、今後の自分のための物です
見た方が鬱や障害のことを知って、なにかしらの参考になったらありがたき幸せ
そして、小学校の高学年で熱血教師に変わった時ぐらいに、父親が徐々に更生していってお酒を一旦やめました
再度お酒を飲み始めるのは中学校1年生になる前くらいでした
その時にひと悶着あるのですが、それはその時に
この頃から、自分の考えは自分が無能だから出来ないから周りから嫌われているだったと考えました
なので、何にでも挑戦をして頑張って成績を残そうとしました
学芸会の主役、運動会の鼓笛隊、修学旅行の発表
6年生になるころには熱血教師も毛嫌いされることはなくなりました
人がやりたがらない事を、上手にやりましたけど、父親には興味を持ってもらうことはなかったです
今でも思うことが、あのころはお酒を止めて暴力とかもなくなり、そんな父親に認めてもらいたかった気持ちがあったんだなと思います
父親は姉や妹に興味はありましたが、私には全然なかったようです
少しさかのぼりますが小学校3年生のころだったと思います、父親がスーパーファミコンを貰ってきました、私が遊べるのは優先度が下のほうではありましたが、遊ぶことができたので、この頃からゲームが大好きになりました
このような生活なので経済的に裕福ではありませんでしたが
テレビとか2台目のスーパーファミコンなどマンガ本とか、時代なのでしょうか
結構捨ててあるんです
ゴミから拾ってきたスーパーファミコンはヤニまみれでしたが、私専用のスーファミになりました
きれいに掃除して、今でも家にあります
ゴミからいいものを拾うと母親に褒められて、それがすごく嬉しくかったです
とくに春休みにゴミ収集の日にいくと、それなりにめぼしいものはみつけられましたし、ゲームソフトは期限を決めてクラスメイトから貸してもらっていました
期限と約束を守るのが継続して借りれるコツです
無能ながらにも、懸命にやってたんだとおもいます
この小学校6年生のときが、人生で一番まとも、世間からみると普通の子だったと思います
次回は中学校に上がった時からになります
ここまで読んでいただけた方には感謝ですm(__)m